4142  21 春日園 1

<『さいお』春日井市立西尾小学校開校100周年記念ハンドブック>

 西尾小学校から見て南、県道内津勝川線を渡ったところに春日園という団地があります。いわゆる新興住宅地で、今でもここから多くの子どもたちが通学しています。この春日園は、いつ、どのようにして生まれたのでしようか? 開発にたずさわった松浦鎗市さんにお話をうかがいました。

 春日圜が今の形になる前、昭和36年〜37年に第1期造成・販売が始まったそうてす。そのとき、明知の個人の方が始めたということであり、春日井カントリーと一緒に開発したそうです。しかし、このときの造成がうまくいっておらす、大雨が降るたひに道が川のようになって土砂が流れ出し、旧国道19(現県道内津勝川線)が埋まってしまうという有様だったようです。土地は売りに出されて買った人も多かったものの、とうとう春日井市からは住宅地としての許可が出ませんでした。ちなみにこのとき駒返の山林も造成されたのですが、今はなくなっているとのことです。

 松浦さん宅も、この土砂のために被害を受け、何とかしたいと考えていたそうです。そして 豊明市の神谷建設と協力して春日園の造成のやり直しと販売に力をつくすことにしました。それが昭和55年たったそうです。まず、土地を購入していた人たちの半数以上から土地を買い集めました。そして、土地を保持し読けている人たちに1坪4500円負担してもらって、組合形式で住宅地として造成することにしたのです。造成はしっかりしなければならないとの思いから、大手建設会社の三井建設を選び、 道路の舗装、給水塔と水道の整備、排水施設、ガスの配管なども整備しました。その結果、しつかりした住宅地ができあがり、 宅地を高橋建設、一光開発、三重交通の不動産部などにめいめいに開発してもらうことにしたのてす。

 そして、とうとう昭和60年に、この春日園に入居が開始されました。いったん売りに出され始めると、土地にまたたくまに売れていき現在のような姿になったそうです、そのため、急瀲に子どもが増え、現在の西尾小学校の校舎の東側を増築するきっかけにもなったのたそうです。 

 

【現在の春日園】

国道19号から見える春日園の風景です。

【給水塔】

春日園に水を供給しています。